竹田の有名人といえば、瀧廉太郎。小学校の音楽で『荒城の月』を歌った事を、今でも覚えています。瀧廉太郎が竹田と縁があると知ったのは、竹田の町を散策している時。お寺などを抜けて小道に入っていくと、瀧廉太郎の家があったのです。現在は記念館になっており、入館料は300円と安かったので、中に入ってみることにしました。
明治17年、瀧廉太郎が12歳の頃、父親の仕事の都合で、東京から竹田に移ってきました。その時に暮らしていた家だそうです。土間や庭がそのまま残されており、家の中には本人直筆の楽譜や手紙などが展示しています。まるで瀧廉太郎が生きていた時代にタイムスリップしたような気分。雨が降った後の庭は、寂びれた雰囲気もなく、きらきらしていました。
瀧廉太郎は23歳の若さで亡くなったそうです。私が今24歳なので、ひとつ下と思うと、考えさせられるものがありました。早くにこの世を去りましたが、彼の残した岡城址をモチーフにした“荒城の月”は、いつまでも歌い継がれていくのでしょう。竹田の町が持つ大切な存在が、今もなお息づいています。
家の近くには、瀧錬太郎トンネルというのがあります。人が通ると、センサーが反応して3曲の音楽が順番に鳴ります。滝廉太郎の歌を口ずさみながら、竹田散策をしてみてはいかがでしょうか。
(ますちゃん)
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